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私のキャリアパス ~点と点をつなげる~

ファインセラミックスセンター ナノ構造研究所 上級研究員 野村優貴

 私の電子顕微鏡との出会いは、研究室配属された学部4年でした。ただ、「原子を見てみたい」とか「材料の深淵を理解したい」とかいった高尚な考えは全くなく、「実験系で(ずっとPCに向かうのが嫌だっただけ)厳しすぎない研究室がいいな」という、なんとも自堕落な大学生らしい理由で名古屋大学の田中信夫先生の研究室を志望しました。人気研究室だったこともあり、定員を超える希望者がいたので成績の悪い自分は入れないだろうと思っていたのですが、学生同士の話し合いの末なぜかジャンケンで決めようということになって、悪運強く、電子顕微鏡の世界に潜り込むことができました。

 学部4年と修士の2年間は、山﨑順先生(現阪大)に指導していただきながら、半導体の収差補正TEMの研究をしていました。3年間で大きな成果はでなかったのですが、小さいものを触ったり細かいことをするのが好きだった子供の頃からの性格とマッチしたのか、ミクロな世界で楽しく研究をすることができました。

 修士卒業時には博士課程に進学することも考えたのですが、経済的に自立したいという理由もあってTEMが触れそうな研究所のあるメーカーに就職することにしました。就職面談では「TEM解析をやる人を探している」と言われていたので、自分でもそのつもりで入社したのですが、会社によくある「面接の頃には存在したプロジェクトが入社時には再編されている」という悲しい出来事があり、行く当てを失った私は電池の部署に配属され、右も左も全く分からない電池の開発をすることになりました。

 入社から1年ほど経った頃、電池素人なのになぜか1人テーマを与えられたので(電池を知らないので期待されていなかったのだろうと思います)、成果は出なくても良いからまずは基礎をつけよう、ということで電気化学の参考書をたくさん買ってきて、先輩社員にたくさん質問をして、まずは電池の勉強をはじめました。テーマ的にも基礎的な部分を理解する必要があり、なぜかやる気もあったので、学生の頃より熱心に勉強をしました(給料が出るせいかもしれません)。今でもこのとき勉強したことはとても役に立っています。

 入社から2年ほど電池の開発を経験したことで少しは電気化学を理解できるようになって、TEMのことなど頭から吹き飛んで楽しく研究をしていました(なんでも楽しめるのは自分の数少ない長所です)。当時は、このまま電池開発の世界で生きていくのだと思っていました。ほんの8年ほど前の出来事です。

 ですがその後、上層部の意向で、高度な解析技術に特化した材料分析部門を新たに立上げよう、ということになりました。TEMの技術者が足りない!となり、私が電池の部署から引っ張られて材料解析の世界に戻ってきました。ちなみに、当時は電池の開発が楽しかったので上司に「電池開発の部署に残りたい」みたいなことを言ったのですが、聞き入れてはもらえませんでした。これが会社です(今では戻ってきてよかったと思っているので当時の上司には感謝です)。

 解析部隊に戻ってきたので、まずはやることを決めようということになって、会社の方針と自分の経験がマッチする電池のTEM解析をすることにしました。新設の部署だったので、まずは先端解析の意義を皆に理解してもらえるような成果を出す必要がありました。そこで、誰でも理解できる内容の方が良いだろうと思い、デバイスが動作している様子が見える電池のその場観察にチャレンジすることにしました。要するに、原子像やスペクトルよりも、リチウムが動く絵の方がインパクトがあると思ったわけです。もちろん、電池の開発にとって有益であろう、という考えもありました。

 色々と調べてみると、ファインセラミックスセンター(JFCC)が電池のその場観察に成功していることが分かったので、共同研究か何か一緒にできないかとJFCCの平山司先生と山本和生先生に相談に行きました。結局、出向でTEMの修業をさせてもらえることになり、1.5年間、名古屋に戻ってその場観察や電子線ホログラフィーの修業に励みました。JFCCに出向したことが私の研究者人生のスタートだったように思います。JFCCに出向中に社会人博士課程として名古屋大学の齋藤晃先生の研究室に迎えて頂き、のちに学位も取得することができました。

 帰任後は会社にもどって電池のその場観察を軌道に乗せましたが、出向中の1.5年間でアカデミックな論文を書いて発表することの楽しさを知ってしまったので、実験で得られた結果を論文発表したくなりました。ですが、会社としては論文執筆のプライオリティは低めなので、「どんどん書いたらいいよ」といってくれる人と「社外秘だからやめて欲しい」という人と、色々な考え方の人がいます(もちろん論文化する内容にも依ります)。

 私の場合は幸いにも上司がとても理解のある方だったので、うまく社内の調整をしてくれて、なんとか細々と発表を続けられました。民間企業で継続的に論文を書くことはなかなか難しいことですが、自分のスキルのエビデンスにもなるので、終身雇用が崩壊しつつある昨今、多少無理をしてでも積極的に発表することは意味のあることだと思っています。

 行き当たりばったりで研究の道に進んできた(迷い込んだ?)、というのが自分の正直な感想です。自分にはどうしようもないことも多かったですが、自分に今できることにフォーカスしていると、いつか思いがけないところで点と点がつながる、ということを実感しています。こんな計画性のない私でも、なんとか研究を続けられています。

 本稿を読んでいただいた学生の方には、日々の出会いや出来事を大切にして、それらをうまく繋げられるようにして頂ければと思います。そういう繋がりが個々の強みになっていくのだろうと思います。私も日々を大切にしながら色々な勉強をして、新しいことができるように、新しい研究ができるように、努めていきたいと思います。

(図の説明)名古屋大学 学位授与式にて