私は博士号取得までは名古屋大学の中西彊教授の下、素粒子実験用(現在の国際リニアコライダー計画)のスピン偏極電子源開発を進めていました。その後、博士研究員として量子情報通信分野へ飛び込みました。それから2年程経った頃に、透過電子顕微鏡へスピン偏極電子源を搭載するプロジェクトを田中信夫教授(名古屋大学)と中西彊教授が共同で進めることとになり、そこにお誘いを頂いたのをきっかけに電子顕微鏡分野で研究をさせて頂けることになりました。
私のキャリアは日本では一風変わった経歴かもしれません。顕微鏡分野とは違う分野で博士号を取得した後、別の分野へ一度進出後に顕微鏡分野にてアカデミックポスト(33歳まで任期付ポスト)で研究を進めて来ました。個人的には電子を用いている点では、大学院時代と今の顕微鏡分野で大きな違いはないと思っていますし、異分野といっても括り方の問題で、実は大きな括りでは一緒だったりすることもあります。当時は様々な研究に興味を持っていたこと、若いポスドクでなら他分野からの挑戦も可能だと思い、今しかできないことをやってみようという気概で進んでいました。
今は、これまでの経験が様々な場面で生きていると実感していて、同期の研究者とは違う道を踏み出したことを誇りに思っています。ただ、それまでの経験がある程度活かせる研究分野に挑戦していたので、完全に別分野という程の挑戦ではなく、多少のリスクヘッジをとったキャリアパスを形成していたと思います。また、人の繋がりを再構築する必要もありましたが様々な人たちと知り合うことができ素晴らしい経験となりました。
一方、時の運があることも事実です。大学院時代の研究は巨大科学であり、当時は数年後に大型プロジェクトが開始されるとされて研究室を選びました。しかし、20年経った今でも開始されていません。博士号取得後は、量子情報分野が盛り上がりつつある時期で、その分野に予算があったことも異分野の若手を受け入れる余裕があったのかもしれません。
もちろん、雇って頂いた研究室に懐の深さがあったことも、今から思えば運が良かったのだと思っています。また、新しいプロジェクトが立ち上がり、研究員雇用予算があったことで顕微鏡分野に来ることができました。きっと大学院時代から研究分野を変えなければ、いま研究者ではなかったかもしれません。
また、顕微鏡学会に私のような新参者を受け入れて頂けたこと、様々な共同研究者との出会いも大きな点で、皆様に大変感謝している部分です。結局、天の時、地の利、人の和なのかもしれません。
0を1にするのが得意な人や1を10にするのが得意な人、その道を極め最短の道を通る人や寄り道をしながら体力を上げ進んでいく人、色々あると思います。それぞれが得意とする道を歩んでいけばキャリアパスは良いものになると思います。
大学院の頃に所属した研究室の分野は人生で最初に出会う研究の場であり、そこで一生懸命研究し得た方法論や経験、知識は一生役立つ大切なものとなります。ただ、生涯研究する内容である必然性はないため、自身の可能性を狭めずに大きく羽ばたいてもらいたいと思っています。
私のキャリアは決して成功例ではないので参考になるか分かりませんが、このような過程で生き残る研究者もいるのだと思ってもらえたら幸いです。