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私のキャリアパス

ファインセラミックスセンター ナノ構造研究所 主任研究員 穴田 智史

 私は2014年9月に大阪大学超高圧電子顕微鏡センター(保田研)で博士号を取得し,特任助教として1年半働いた後,2016年4月にファインセラミックスセンター(JFCC)に転職し,現在(2024年8月)に至ります.本稿では,研究者を目指すきっかけ(学部2~3年頃)まで遡り,現在の研究に至るまでの経緯をご紹介致します.

 私が研究者になりたいと思い始めたのは学部2年の終わり(2008年3月)頃,大阪大学の同期の友人と東京観光したのがきっかけだったように思います.その頃,私は普通に進級が決まり,学部3年から材料科学のコースに分属されることになっていましたが,研究室配属はまだ先のこと(1年後)という認識で研究の具体的なイメージすら持ち合わせていませんでした.
 一方,友人は飛び抜けて優秀で,早い段階(もしかしたら入学以前?)から研究者を目指しており,早期卒業(飛び級進学より遥かに高難度)という制度で学部3年から研究室配属されることが決まっていました.そんな折,友人から「東大の研究室を訪問するから東京観光がてら一緒にどうか」と誘われ,私は「東京観光,楽しそう!」くらいの軽い気持ちで付いていきました.その研究室自体にあまり興味がなかった私でしたが,初めて研究の一端に触れることができ,研究のイメージを少しだけ掴んだ気になりました.それ以降,友人から研究に関する話を頻繁に聞くようになり,触発(洗脳)されて研究者の道を志すようになりました.

 学部4年では,半導体デバイス関連の研究室に志望通り入ることができました.私は念願の研究活動に心血を注ぎましたが,全く思い通りにはいかず,学部4年の後半には挫折してしまいました.研究室が悪いわけではありませんでした.むしろとても良い研究室だったと思います.丁寧な研究指導を受けることができ,研究資金も潤沢で設備も整っていたと思います.現在でもこの研究室で得た知識・経験が役に立っています.
 ただ,時期(と私の態度)は悪かったと思います.私が携わった研究テーマはメイン装置が立ち上がってほんの1年経った頃で,複数人(チーム)で同じテーマを共有するような体制でした.下っ端である私個人に研究テーマが与えられるような状況ではありませんでした.試料すらまともに作製できなかったため,クリーンルームで毎日10時間以上,条件を細かく振って試料を作製するような単調作業を続けましたが,半年経っても状況は変わりませんでした.
 通常の研究スパンを考えれば半年なんて短いものと思われるかもしれませんが,当時の私にはそう考える余裕は一切ありませんでした.自分を追い詰めすぎた結果,まとも(?)な試料ができる前にすっかり心が折れてしまいました.

 さて,学部4年で早くも挫折した私でしたが,研究者になること自体を諦めたわけではありませんでした.ただ,このまま博士課程まで進学することは考えられず,修士課程で研究室を変えることを決心しました.
 私が所属した専攻では,修士1年の初日に学生全員が集まって研究室の再配属が行われます.定員を超える志望者がいる場合,院試の成績で勝負することになります.私は通常の院試を受けずに進学したため (不正ではない),定員オーバーの場合はほぼ確実に弾かれる状況でした.
 そこで,他の学生があまり情報を持っていない穴場を狙うことで,志望通りの研究室に入ることができました.それが保田英洋先生の研究室(超高圧電子顕微鏡センター)であり,TEMを使用する研究に携わるようになりました.

 保田研(修士~博士課程)では,保田先生の他に,森博太郎先生,永瀬丈嗣先生(現兵庫県立大学教授)にご指導頂き,超高圧電子顕微鏡を用いた金属間化合物の電子照射誘起相転移の研究を実施しました.いわゆる基礎研究でしたが,私の実力不足も相まって,理解されず逆境に陥ることも多かったです.
 また,業績は振るわず(博士1年を終えた時点で論文掲載0報や受賞0件),学振特別研究員もしっかり3回不採択でした.それでも,学部4年の頃とは異なり,楽しく持続可能な研究生活を送ることができました.結果的に博士課程を半年短縮で修了し(不正ではない),同センターで特任助教として1年半お世話になりました.

 その後,現在の勤務先であるJFCCに転職することになるのですが,その絶好の機会を設けて下さったのが山崎順先生でした.山崎先生は,私が博士1年のときに超高圧電子顕微鏡センターに着任され,当初から指導下の学生ではない私のことまで気にかけて下さっていたように思います.
 2015年11月 (特任助教になって約1年後),山崎先生の勧めで日本顕微鏡学会 様々な極微イメージング技術若手研究部会 第3回研究会 (山崎先生が幹事)に参加しました.その研究会は複数人が同室に宿泊するという合宿形式で開催されました.
 そこで同室になったのが現在JFCCの上司である山本和生さんでした.山本さんとはその研究会で長い時間話すことができました.解散前の昼食の席だったか,山本さんがポスドクを探しているということを山崎先生が聞き出してくれて,「穴田さん(私)はどうか」と推して頂きました.それで山本さんにも勧誘して頂いたのですが,私は社交辞令と捉えて,その時点で応募する気は起きませんでした.客観的に見ても優れた業績がない私を採用するとは思えなかったのだと思います.また,電顕業界の人材(不足)事情を知らなかったというのもあると思います.
 研究会が終わってから数日後,山崎先生から「本当に探しているみたいだから応募してみたら?」と話があったので,山本さんからも改めて詳しい話を聞き,応募することを決めました.

 JFCCでの研究は思っていたよりも自由度が高くて驚きました.部署や時期にも依りますが,場合によっては大学よりも自由度が高いと思います.私の場合,山本さんから言われたのは,「電子線ホログラフィーで何か面白い研究をしましょう」くらいで,幅広い分野から研究テーマを決めることができました.
 そこで私は,太陽電池や金属ナノ粒子のその場観察に関する研究を始めたのですが,なかなか成果を出せませんでした.そのような状況を見兼ねたのか,山本さんから,東京大学の柴田直哉先生と古河電気工業株式会社の佐々木宏和さんとの共同研究の話を頂きました.研究内容は,電子線ホログラフィーと微分位相コントラスト(DPC)法によりGaAs p-n接合の電圧印加その場観察を実施し,両手法を比較・高度化するというものでした.この研究では,自分なりに課題を見つけ,それなりの成果を出すことができました.
 また,パナソニックの野村優貴さん(現JFCC)がもたらした機械学習の波に便乗させて頂き,電子線ホログラムのノイズ低減の研究を実施できたことも幸運でした.最近では,山本さんと平山司さんを筆頭に大型研究費を獲得し,ARTEMIS電顕(フルオプションJEM-ARM300F2,クラスター計算機接続,電子線ホログラフィー用カスタマイズ)の導入に携わることができ,より良い環境で楽しく研究できています.

 自分のキャリアパスを長々と書いてみましたが,研究者を目指す若手の方が参考にするようなものではないな,と改めて思います.最後に何か一つでも良いアドバイスを,とも思ったのですが,難しいものですね.すでに他の方が書かれていますのでそちらを読まれるか,身近な先生・先輩方に相談するのが良いと思います.「JFCCで仕事がしたい」とかであれば相談に乗れることもあるかと思いますのでお気軽にお声掛けください.

 


2024年8月15日撮影.JFCC保有のARTEMIS電顕(GrandARM2ベース).