私のキャリアパス ―その場その場で最善を尽くす―

物質・材料研究機構 先端材料解析研究拠点 主幹研究員 原野 幸治

 2022年2月にそれまで14年間勤めた東京大学を退職し,物質・材料研究機構,電子顕微鏡グループの主幹研究員として着任しました.電子顕微鏡による単分子・分子集合体の動的イメージングおよび精密計測技術を材料科学研究に応用すべく,木本浩司グループリーダーはじめ同僚の方々のご支援を得ながら新しい環境で日々研究に励んでおります.しかし,少なくとも研究の道に飛び込んだ頃には,自分がよもや電子顕微鏡を専門にして職を得ることになるとは思ってもいませんでした.

 高校の頃に,分子というものの足し算引き算でいろんな自然現象が説明できる化学の面白さに惹かれ,大学入学後は自然な流れで理学部の化学科を志望しました.大学院では有機化学と錯体化学の手法を用いた分子集合体材料の合成にいそしみ,NMRや質量分析装置を前に日夜過ごしながら2007年に博士の学位を取得しました.その後東北大学で博士研究員として勤めたあと,ご縁があり学生時代と同じ東京大学大学院理学系研究科化学専攻の中村栄一先生の研究室の助教として採用され,ナノカーボン材料を用いた機能性分子集合体の開発研究に従事することになりました.

 電子顕微鏡との出会いは,分子集合体研究とは別に,中村先生がJST ERATOプロジェクトで進められていた「ひとつの分子を透過電子顕微鏡で観る」研究を,産総研の末永和知博士(現・阪大),越野雅至博士らのグループと共同で進める機会を得たことです.このプロジェクトには私は試料合成と画像解析担当として加わったわけですが,電子顕微鏡の経験が皆無であった私にとって,日々の議論についていくのもやっとで,毎日自分の知識の無さを恥じたものでした.しかし,手探りで研究を進めていくうちに,「そもそも分子を電顕でみるということ自体が新しすぎて,議論の基盤になる常識がない」ことがわかってきて,「それなら自分たちの手でこの分野の新しい常識をつくってやろうじゃないか」という気持ちになってきました.
 それでも最初の頃は論文査読で「そもそも1つの有機分子の像がTEMで撮れるなんて信じられない」など,厳しい意見をいただく事が多く,何度もめげそうになりましたが,自分たちの科学(化学)的な解釈の正しさを信じて,批判の元となる議論を実験事実と照らし合わせながら一つ一つ化学的に検証し,分子観察の色々な実例を示すことでここまで進めてきました.

 ERATOプロジェクトでは自分自身で電顕を撮ることはなかったのですが,2013年に東京大学内の新設拠点に分子観察に特化した原子分解能透過電顕を導入することが決まり,その機種選定の調査を引き受けることになりました.原子分解能電顕を触ったことがない人間にとってそれはあまりにも荷が重い仕事で,しばらくは胃の痛い毎日でした.それでも,これも良い勉強の機会だと考え,数ヶ月の間に国内外の電子顕微鏡および周辺機器メーカーをいくつも訪ね,(多くの場合英語で)議論を重ね,最高の電顕をつくるべく努力したことが非常に貴重な経験となりました.
 2016年に装置が導入されてからしばらくの間は毎日電顕室にこもり,どうやったら高速で良質の分子像が撮れるか試行錯誤を重ねました.メーカーの方々や東大の電顕関連の先生方のご助力,そして研究室の学生・ポスドクの皆さんの甚大な努力のお陰で,2,3年前からこの新型電顕発のデータも論文発表できるようになり,今では「分子像は信じられない」というような意見も(ほぼ)こなくなり,ようやくこの分野に新しい常識を確立できたのかな,と安堵しています.ここ数年の研究のまとめは.最近顕微鏡和文誌に寄稿させていただきましたのでそちらもご覧下さい.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kenbikyo/57/2/57_59/_article/-char/ja

 化学出身の私がいきなり電子顕微鏡の,しかも一分子を原子分解能で観るという超挑戦的研究に巻き込まれたわけで,他のプロジェクトも抱えていた当時の自分からしてみると,電顕研究から逃げ出すという選択肢もあったのかもしれません(なかったかもしれません).ですが,このようなテーマに巡り会えたのも何かの縁だと思い,ともあれ目の前の課題に対して最善を尽くして取り組む,ということを無心に繰り返してきたことが現在のキャリアに繋がっているのだろうと思います.

 私の例はキャリアパスというには特殊な例かもしれませんが,分野を変えるとまでいかずとも,人の行かない方に行くとなにか面白い事が見つかるのではないか,というワクワク感を常に持っておくことが,新たな研究の道を拓くためのひとつの心構えなのかな,と思っています.
 特に電顕は多種多様な撮像方法があるので,材料と測定手法の組み合わせで実にバラエティに富んだ研究展開ができることが魅力だと思います.私はずっとTEMのイメージングをやってきたので,今の職場に着任してからSTEMによる撮像や計測を一から学んでいます.毎日新しい測定手法が身につくたびに,頭の中で某ロールプレイングゲームのレベルアップの効果音が鳴り響くのは快感です.

研究を続ける上での楽しみの一つが,世界中の研究者と科学を共通言語に話ができることです.
写真はコロナ禍直前の2019年秋に上海・復旦大学で講演させて頂いた時の写真です.
全く別の用事で訪中されていた,大学院時代の恩師である塩谷光彦先生(東京大学,右上のポスター写真)と同日に講演が組まれるという偶然に恵まれました.