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私のキャリアパス

京都大学 化学研究所 准教授 治田 充貴

 私は元々阪大の那須・小野研でメスバウアー分光をしていたのですが、教授の定年退職と准教授の京大化研への異動を機に京大に移ることになりました。ただ、大学院入試の際に志望研究室を複数書けるのですが、成績が良くなく希望していた研究室には入れず、自分で書いたことも忘れていた研究室に配属され、配属が決まってから初めて電子顕微鏡の研究室に行くのだということを知りました。
 それが電子顕微鏡との出会いで磯田・倉田先生の研究室でした(歓迎会1回目)。

 磯田研では、私が入る数ヶ月前に初めて走査型透過電子顕微鏡(STEM)の機能を備えたJEOL-2200FSが納品されたばかりでしたので、STEMを最初にやり出した学生がたまたま私でした。当時は、それまで全く勉強してこなかったこともあり、特に科学に対するこだわりも無く、就職もあるのでさすがに修士課程は真面目に取り組もうとだけは考えていました。ただ、基本的にリベラルな研究室でしたので、当初はあまり研究に面白みを感じませんでしたが、とにかく自分は何をすればいいのか常々考えて勉強や実験をしていました。

 そんな中、M2の就活後に有機結晶をSTEMで見ようということになり、最初に塩素化銅フタロシアニンの原子分解能が撮れたのが、M2の9月の夜中だったと思います。S/Nが良くない像でしたが、それっぽい像が撮れたことが物凄く嬉しかったことを覚えています。

 その頃から研究が面白いと思い始めたのですが、そのまま内定していた会社に入社しました。会社では半導体プロセスの研究開発をしていました。もちろんリベラルな空気とは真逆でしたが、上司が色々教えてくださる方だったことに感動しました。ただ、やっと面白いと思い始めた大学での研究にやり残した感がずっとあったので、一念発起して会社を1年で辞めて博士課程として同じ研究室に編入学し直しました(歓迎会2回目)。

 既に自立していたので1年目は自分で学費を払ってバイトと奨学金で質素に生活していましたが、2年目からJSPSのDC2に採用されたので、何とか普通に生活できるようになりました。

 博士課程時代の前半は、戻ったらやってみたかった研究を中心にSTEMの結像の研究をしていましたが、後半からEELSを始めました。博士課程修了後は1年間京大で博士研究員として働き、次の年にJSPSのPDに採用されたのでNIMSの木本さんのところに2年間行きました。当時、京大ではGIFが無く、やりたかったspectrum imagingができなかったのですが、木本さんがモノクロ付きのTitanを導入した時でした。

 またNIMSは独立した研究者の集まりだというイメージがありましたので、研究姿勢を学ぶ意味でもNIMSに行きました。木本研もリベラルな研究室で、好きにしていいよということでしたが、そこで論文を出せたことが研究者として何とかやっていけそうだという自分自身の自信につながったと思います。

 またこの頃にはEELSが面白いと思うようになり、自分のオリジナリティは何なのかをよく考えるようになりました。特に木本さんは独自にスクリプトを書いて測定されていたこともあり、測定技術の重要性も改めて考えるようになりました。その後、丁度席が空いたこともあり京大化研の倉田研の助教として戻りました(歓迎会3回目)。

 またこの頃から、徐々に講演に呼んでいただけるようになり、また学内・学外で何かしらの役回りをするようになるうちに、徐々に他の大学や研究機関の先生方とお話しする機会も増え交流も増えてきたように思います。

 真面目にやっても面白くないものもあると思いますが、私の場合はやっているうちに面白みを感じて、それが合っていたから今も続けているというのが正直なところです。