私のキャリアパス

宮崎大学医学部解剖学講座 超微形態科学分野 教授 澤口 朗

 医学生が学修する幾多もの科目の中で、特に学生と接する機会が多い解剖学を専門にしていると「先生はどうして医学部を卒業して臨床ではなく基礎医学の道を選択され、解剖学で電子顕微鏡を主体に研究活動をされているのですか?」という、素朴ながらも核心をつく質問が寄せられます。いつも決まって「好きだから」と答えます。医師を志した決定的な動機は定かではありませんが、団地住まいの幼少時、上階に住む友達の家に遊びに行く度に、本棚に並ぶ「ブラック・ジャック」(手塚治虫)に熱中していたことを思い出します。

 神奈川県立湘南高等学校で過ごした3年間はラグビー部に所属し、左フランカー(6番)のポジションで主将も務めました。大学受験勉強は引退後に開始することが不文律とされ、部室の壁には「現役=偶然、一浪=当然、二浪=平然、三浪=唖然、四浪=愕然」と落書きされていました。そうして臨んだセンター試験は213点(800点満点)に終わり、半ば計画通りに浪人生活を迎えました。決意を新たに予備校へ通い始めて1ヶ月が過ぎたころ、すし詰めの教室で画一的な講義を受けることに疑問を抱き、自宅浪人に切り換えました。このとき既に、日常診療から基礎研究へ転じる独学精神が宿っていたのでしょう。
 夏が終わり、秋が過ぎ、迎えたセンター試験の結果は710点(800点満点)でした。前年の213点からリベンジを果たし、出願先を検討していたとき、宮崎医科大学のユニーク入試制度が目にとまりました。前期日程50名のうち20名は「高校時代の部活動や生徒会活動などの成果・実績で選抜」するという画期的な入試制度でした。ラグビーに全てをかけた青春が評価され、志願倍率9倍の難関を突破して、合格通知を受け取ることができました。

 入学してみると高校ラグビーの花園大会出場経験者、高校野球の甲子園出場経験者をはじめ、宮崎医科「体育」大学と称されるまでの強者が揃っており、ラグビー部は1年目にして西日本医科学生大会で準優勝を果たしました。医学科4年生に進級し、ラグビー部キャプテンに就任した矢先、臨床実習で眼科をラウンドした際、眼底検査実習の指導医から「ちょっと待って!君の網膜は剥離する一歩手前で、今すぐ処置が必要だよ」と告げられ、ラグビーを続けることにドクターストップが下りました。
 ポッカリと空いてしまった放課後の過ごし方を考えながら、当時の解剖学第二講座・菅沼龍夫教授を訪ねたところ、「面白いモノクロナール抗体があるから、うちの研究室で実験してみない?」とお誘いをいただきました。医学部に合格して叫んだ言葉は「これで医者になれる!」ではなく、「これで医学を学べる!」でしたが、「学ぶ」だけでなく「問う」チャンスをいただき、日本解剖学会で口演発表「ラット網膜におけるポリシアル酸の発現と免疫組織化学的局在解析」の機会に恵まれるなど、充実した学究生活を送ることができました。

 卒業後は順天堂大学の内科研修を選択し、内科医として一歩を踏み出しましたが、間もなくして不治の病と闘う患者と向き合う日々に「研究」への使命が再燃し、宮崎医科大学に戻り博士課程に進学しました。当時、先駆的な高圧凍結技法の応用研究に取り組み、博士課程を修了した2001年10月から2003年6月まで、アメリカ合衆国のカリフォルニア大学バークレー校分子生物学部門 John G. Forte研究室のPost-Doctoral Fellowとして留学を経験しました。
 渡米後、しばらくは英会話もままならず、高圧凍結技法を用いた実験系の確立に幾多の苦難を強いられました。半年が過ぎ、Electron Microscope LabのKent L. McDonald先生と「初代培養細胞の新たな高圧凍結技法開発」プロジェクトが立ち上げられたことを機に、状況が一気に好転しました。超高圧電子顕微鏡でトモグラムを撮影するため、コロラド大学ボルダー校までジープ・チェロキーで陸路を走り抜けたことも良い思い出です。
 近年、日本から欧米諸国をはじめとする海外へ留学する若手研究者が激減していますが、グローバルに情報を入手できる時代だからこそ、実際に海外留学を経験することで珠玉の自信が供与され、発せられる言葉にも重みが増すことでしょう。

 大学院博士課程に進学した1990年代、電子顕微鏡を主軸に据える研究は「時代遅れで古典的. 稲が刈り取られた田んぼで落ち穂拾いするようなもの」と揶揄されることもありました。しかし、電子顕微鏡が「好きだから」心変わりすることはありませんでした。
 2006年、あらゆる細胞へ分化する能力をもつiPS細胞が開発され、分化誘導された細胞や組織の微細構造を検証する巨大なニーズが創出されました。新たに干拓された水田で、新種の稲(iPS細胞)がたわわに実った穂(分化誘導された細胞)を垂らし、刈り取り(電顕解析)を迎えた今、この新たな使命を遂行し、次代を担う後進の育成にも注力しています。
 ラグビーで医学部に合格したユニークな経歴の真価を発揮すべく、これからも電子顕微鏡を強力な武器として、医学の発展に寄与する基礎研究にFor Allのラグビー精神と体当たりで挑みます。